フィリピン・セブ島での5日間はあっという間に過ぎていった。自分でも驚くほどここでの暮らしを楽しめている。おそらく、これまでに過ごしたどんな土地よりもそこら中でなにやら懐かしい「匂い」がするような気がしており、それが自分のテイストに嵌っているのだと思う。
かつてはニューヨークやロンドン、パリといった極めて洗練された街に思いを馳せたが、フィリピンをはじめとするアジア諸国の人間臭さも悪くない。いや、正直なところ、むしろ惚れ込んでしまいそうなほどである。
部屋の窓から見下ろすと、鬱蒼と茂る木々が「建物などお構いなし」といった具合にして視野いっぱいに無秩序に広がっている。植物と建築物、自然と人、都会とスラム、富と貧困。対極に思えるもの同士の間に、明確な境界線は見当たらない。何もかもが「近い」のだ。
この「距離」の感覚は、ひとたびセブの街に繰り出してみると肌で感じることができる。街中を走るのは「ジプシー」と呼ばれる地元の乗合バス。それから2人乗りの原付バイクの集団。そして多くの場合は日本車である。
毎秒けたたましく鳴らされる「ブッブー」というクラクションに急かされるようにして、なぜ事故が起こらないのだろうかと驚嘆せざるを得ないような車間距離で走り抜けていく。(インド映画でよく見かけるシーンと寸分違わず甚だ驚いた)
また、セブでは歩行者は軽視されて(いると少なくとも筆者は感じて)おり、恥ずかしながら、近所をふらつくだけでも肝を冷やすような経験を何度もした。現在筆者が住んでいるエリアにはおおよそ「歩道」と呼べる空間はなく、歩行者用信号機などという利器もない。
ではどのようにして道路を渡るのかというと、これが至ってシンプルで、我が手で車を制しながら車と車の切れ間に身体を捻りこむのだ。いくらアグレッシブな地元ドライバーとて、眼前に人が飛び出してくれば静止せざるを得ない。
車と車、バイクとバイクの間の物理的距離そして時間的距離をぎりぎり掠めながら、やっとのことで歩を進めることができるのだ。とは言え、この感覚を掴めるようになるまでは、大人しく地元民の後ろをついて歩こうと思う。
セブの街中の至る所で野犬を目にするのも新鮮だった(…厳密に言えば、彼らの中には首輪がかけられているものもおり、単に広範な放し飼い状態になっているのかもしれないが)。
いずれにせよここフィリピンでは犬をペット(愛玩動物)として飼育する、という意識よりは「共存している」という表現の方がしっくり来るような気がしている。人間と同様、犬もそこにいるのだ。
筆者が確認した数頭の犬のうち、ほとんどが痩せ型で、手は曲がり、土埃で薄汚れていた。健康状態は好ましくないのかもしれない。ガイドブックによれば狂犬病とはじめとする病原菌を媒介していることも多いようで、接触は躊躇われてしまう。
このわずかな距離を詰められないことにもどかしさを覚えつつも、犬に別れを告げ、黙って立ち去ることにした。
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