宝くじ3億円当たったら何がしたい?「一生遊んで暮らします」


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よく「宝くじ当たったら何がしたい?」と空想の質問をしてくる人がいるけれど、そんなときぼくは迷わずにこう言うようにしている。

「一生遊んで暮らしたい」

「楽して生きていきたい」

 

「なんだコイツ、志の低い奴だな……」と思われただろうか?

否定はしないが、そう決め付ける前にもう少しだけぼくの本音をきいてもらいたい。

 

この記事を書いている人
相原 ユーキ| TABI LABO編集・ライター。 前職は国家公務員。 大学ではAUSで1年間留学。 TOEIC985、英検1級、簿記2級、国家総合職合格。

 

 

本音を言おう。ぼくは辛いことは嫌だし、一生遊んで暮らしたいと思っている

ブログの雰囲気やコンテンツから、ぼくは「意識高い系」と認識(評価)されることが多い。

もちろん、ある方面においてはその通りだと思う。自己啓発とか資格試験とか。

 

 

でも、内側の自分はまったく逆で、だらしがなく 快楽主義者的なところがある

  • 24時間365日、好きなことだけしていたい
  • 辛いこと・やりたくないことは全力で遠ざけたい
  • 面倒臭いことにはフタをして視界から閉め出したい

 

ぼくは基本的にはこういう人間である。

 

 

世界中を飛び回り、好きなことをし、好きなものを食べたい

ぼくの小さい頃からの夢は『世界の車窓から』のような のどかな旅 をすること。

一回旅して終わり、ではなくて、好きなときに好きなところに行けるという境遇そのものが理想なのだ。

世界中を飛び回り、その土地その土地の文化・アクティビティを楽しみ、美味しいものを食べる。

電車にゆられながら、車窓からの景色を楽しむ。

これがぼくの夢。

目下 海外移住に向けて準備しているのも、平たく言えばこの究極目標に近づくためと言える。

 

 

「辛いことがあるから、幸せを噛みしめられる」論者は洗脳されている?

こういう話をすると「人間、ツライことがあるからシアワセも増すんだよ?」みたいに顔を真っ赤にする人がいる。

本当にそうだろうか?「幸福」は 苦しみの対価 としてしか享受できないのだろうか?

少なくともぼくは、あまりしっくりこない。

言っている意味は分からなくはないけど、「なんか必死だな」「修行僧みたいなだ」と思ってしまうのだ。

毎日満員電車に揺られ、激務に耐え、深夜に帰ってくる。だからこそ、土日は有意義に過ごせる。これこそがシアワセ!」みたいな。

自分の置かれている苦境を自分自身で評価し、ひいては正当化しようとしているように見えてしまう。

社会人としてしっかり働いているのは心底尊敬するけれど、「そこを脱却しよう」という意思がないのはいかがなものだろう?

辛いこと(=いわゆる社畜生活)を経験した人間こそ、悠々自適な生活に憧れるものだと思うのだが…

 

彼ら(彼女ら)の主張が「幸福は相対的なものである」というものならば納得できる。

誰かと比べて、何かと比べてはじめて、ぼくたちは「シアワセ」を実感できる部分も少なくないから。

 

しかし相対性の話をしてしまうと、今度は彼らの批判は矛盾を抱えてしまう。

資産が数億円あって、世界中を飛び回る」こんな夢のようなライフスタイルにだって、種々の悩みは存在するからだ。

  • 家族や友人に頻繁には会えない
  • 土地や集団への帰属意識が薄くなる
  • テロや犯罪被害のリスクに直面する

 

悩みは遍在する。つまり、遊んで暮らしている(ように見える)人たちも相対的にシアワセなのだ。


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「遊んで暮らす」の「遊び」をどう解釈するか?

「遊んで暮らす」と聞くと、ネガティブなイメージを抱く人も多いだろう。

ここで「遊び」という言葉の意味合いについて再考してみたい。

遊び(あそび)とは、知能を有する動物(ヒトを含む)が、生活的・生存上の実利の有無を問わず、心を満足させることを主たる目的として行うものである。基本的には、生命活動を維持するのに直接必要な食事・睡眠等や、自ら望んで行われない労働は含まない。

遊びは、それを行う者に、充足感やストレスの解消、安らぎや高揚などといった様々な利益をもたらす。

出典:wikipedia

遊びとは、一言であらわすと「心を満足させるためのおこない」。

心を満足させたくない人はいないだろうから、遊びを頑なに否定することじたい本当は不自然なことなのだ。

 

また、「自ら望んで行われない労働は含まない」とあることから、反対に「自ら望んで行う労働は遊びになりうる」ということが言える。

自分の得意分野、関心のある分野においてバリバリ働くことだって「遊び」には含まれてくるのだ。

サッカーも旅も、真剣に遊ぶとそれが仕事になる / 中田英寿

出典:http://lrandcom.com/play_more

 

遊んで暮らすこと = 悪、不誠実 という考えは捨てたほうがよさそうだ。

 

 

日本では「欲」をむき出しにすると嫌われてしまう

マジメで勤勉であることを善しとする日本社会では、「お金がほしい」「遊びたい」と正直に口にすると眉をひそめられる。

「下世話なやつだ」とネガティブな評価をつけられることも少なくない。

病的に禁欲的でマゾヒスティック。それが標準的な日本人であり、日本社会だ。

 

 

もっと正直に!

「ぼくはお金が欲しくない!」「私は遊びたくない!」なんて人はいないだろう。

誰だって豊かな暮らしがしたいと心の中では思っている。

 

しかし、現状とのギャップがあまりにも大きい場合、それを諦め去って「今が一番幸せだ」と思い込もうとする。

自分よりも少ない努力量で成功している(ように見える)人を妬み、バッシングする。

そうではなくて、各々、現状よりも良い生活を目指していくという方が健全ではないだろうか?

 

何より、「宝くじを何に使いたいか」という質問ぐらい、正直に答えたいもの。

ぼくは一生遊んで暮らしたい。

 

せめて空想ぐらい楽しみませんか?


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